野球つづきで、つまらないかと思いましたが、色々と思いだしちゃったので、すいません。
40数年も前になりますが、小学校時代5年生になってラグビーを知るまで、当時少年の類に
もれず野球にすごく興味がありました。見るのもやるのも大好きだったように憶えています。
地元のリトルリーグ(スネーク.アイアンツ)というチームに入ったりもしていました。プロ野球
では、名二塁手だった森下選手と知り合いだったこともあり、家族全員で南海ホークスを応援
していました。当時よく優勝もしていて、あの野村監督が現役バリバリでいたチームで、とても
カッコ良かったです。なので銭湯の下足札もいつも19番にしていました。他に、樋口、広瀬、
ブレイザー、杉浦、スタンカ、と個性的な選手がたくさんいて、とても良いチームでした。それで
南海ホークス友の会というのにも入っていて、野球教室なんかにも参加したりもしていました。
父親とは、仕事帰りに、なんば高島屋の前で待ち合わせをして、よく大阪球場へ、ナイターを、
見にいきました。球場の雰囲気に興奮しながら、いろんな話をしたのを、なんとなく憶えています
両親も恋愛中、自転車でよく、大阪球場へ出かけたそうです。あまり、ひたり過ぎるのもどうかと
思いますが、やっぱ、昭和の時代ってそれなりに良かったなあなんて思い出しちゃいました。
南海ホークスは今のソフトバンクホークスで、その前がダイエーホークスなわけで、オーナー
企業が、電鉄、物販、I・T産業と、これだけで日本の社会、経済の流れ移り変わりが、いいのか
悪いのかわかりませんが、よく表わされていると思います。 しもやん。